これ以上理性を奴隷の状態におくな。
利己的な衝動にあやつられるがままにしておくな。
また現在与えられているものにたいして不満を持ち、未来に来るべきものにたいして不安をいだくことを許すな。
利己的な衝動にあやつられるがままにしておくな。
また現在与えられているものにたいして不満を持ち、未来に来るべきものにたいして不安をいだくことを許すな。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス
121年4月26日 – 180年3月17日
第16代ローマ皇帝である。五賢帝最後の皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。外叔父アントニヌスの皇女で自身の従姉妹であるファウスティナ・ミノル(小ファウスティナ)と結婚して帝位を継承したが、共同皇帝としてハドリアヌスの重臣の子ルキウス・ウェルスが立てられていた。アウレリウスは小ファウスティナとの長女ルキッラ(英語版)を嫁がせて両皇帝の結束を固めたが、169年にウェルスが崩御した事で単独の皇帝となった。ストア哲学などの学識に長け、良く国を治めた事からネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌスに並ぶ皇帝(五賢帝)と評された。対外政策ではパルティアとの戦争に勝利を収めたが、蛮族への予防戦争として始めたマルコマンニ人、クアディ人、サルマティア人などへの遠征(マルコマンニ戦争)は長期戦となり、国力を疲弊させ、自らも陣中で崩御した。軍事よりも学問を好んだ皇帝という姿は、彼の著作である『自省録』への評価を通じて今日も維持されている。これは『国家』を執筆したプラトンの時代から学識者にとって理想とされた「哲人君主」の実現例と見なされているからである。また、後漢書に見られる大秦国王の安敦とは、彼のことだとされている。