なぜ存在するのかわからないものが存在するから奇跡なのだ。
なぜ存在しているのかわかるなら、どうしてそれが奇跡であり得よう。
存在するというこのこと自体は、人間の理解を超えている。
だからこそ、存在する生命は奇跡であり神秘であると、正当にいうことができるのだ。
なぜ存在しているのかわかるなら、どうしてそれが奇跡であり得よう。
存在するというこのこと自体は、人間の理解を超えている。
だからこそ、存在する生命は奇跡であり神秘であると、正当にいうことができるのだ。
池田晶子
1960年東京生まれ。文筆家。慶応大学文学部哲学科卒業。専門用語を使わず、哲学するとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立した。2007年2月23日逝去。