悲しいと思う感情は誰にでもある。
まあ個人差があるから、なんとも言えないけどな。
そこにとらわれ続けるか、それを受け入れていくか、の違いがあるんじゃないかな。
亡くなった人を回向するっていうのは、その情を抑え、祈りに換えてその人を「想う」ことだ。
悲しいという自分の情のままにしておくんじゃなくて、その人の冥福を祈ることで、心にすまわせるっていうことだね。
まあ個人差があるから、なんとも言えないけどな。
そこにとらわれ続けるか、それを受け入れていくか、の違いがあるんじゃないかな。
亡くなった人を回向するっていうのは、その情を抑え、祈りに換えてその人を「想う」ことだ。
悲しいという自分の情のままにしておくんじゃなくて、その人の冥福を祈ることで、心にすまわせるっていうことだね。
酒井雄哉
1926年大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科練へ志願し、特攻隊基地・鹿屋にて終戦。職を転々とするがうまくいかず、比叡山へ上がり、40歳で得度。約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の二度満行。その後も国内外各地への巡礼を行った。1998年から比叡山室谷不動堂長寿院住職。2013年9月23日逝去。