私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか一パーセントにすぎないということも言っておきたい。
九九%は失敗の連続であった。
そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。
その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。
九九%は失敗の連続であった。
そしてその実を結んだ一%の成功が現在の私である。
その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。
本田宗一郎
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽き足らず、エンジンやピストンリングの研究を始める。先後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーになった。その後、四輪車に進出、低公害CVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。1973年社長を退く。1991年8月、肝不全のため84歳で死去。