私は技術にも個性がなければならぬと信ずるものでありますが、最初から個性がでるものではありません。
マチスにしても模倣から出発し、模倣を抜けでて個性の高さに到達したのでありますから、年若い人や経験乏しい人は模倣から出発することは過程として止むを得ませんが、模倣は飽くまで手段であって目的ではありません。
私は我が国の技術にもっと個性があってもよいと思います。
否、もっと独自な強烈な個性を求め、要求するものであります。
マチスにしても模倣から出発し、模倣を抜けでて個性の高さに到達したのでありますから、年若い人や経験乏しい人は模倣から出発することは過程として止むを得ませんが、模倣は飽くまで手段であって目的ではありません。
私は我が国の技術にもっと個性があってもよいと思います。
否、もっと独自な強烈な個性を求め、要求するものであります。
本田宗一郎
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽き足らず、エンジンやピストンリングの研究を始める。先後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーになった。その後、四輪車に進出、低公害CVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。1973年社長を退く。1991年8月、肝不全のため84歳で死去。