私どもの行動の中で、破壊はたやすいけれども、建設はなかなかむずかしいものであります。
室内を取り散らかしたり、物をこわしたりすることは、何の目算もいらず、即座に実行することができますが、それと反対にちょっと室内を整頓するのにも、工夫したり、見積りを立てたり、いろいろの骨折をしなければならないのであります。
破壊は気楽でありますが、建設にはつねに困難を感受しなければなりません。
室内を取り散らかしたり、物をこわしたりすることは、何の目算もいらず、即座に実行することができますが、それと反対にちょっと室内を整頓するのにも、工夫したり、見積りを立てたり、いろいろの骨折をしなければならないのであります。
破壊は気楽でありますが、建設にはつねに困難を感受しなければなりません。
森田正馬
1874年〈明治7年〉1月18日 – 1938年〈昭和13年〉4月12日
日本の医学者、精神科神経科医。高知県香美郡兎田村に生まれ、幼時は父より漢学を教えられた。青年時代は仏教や東洋哲学に興味をもち、将来は哲学者になりたいと考えた。県立高知中学、第五高等学校を経て東京大学医学部に学び、呉秀三博士の門に入って精神医学を専攻、精神療法や催眠術に興味をもち、また迷信と妄想の研究では権威者であった。のち、慈恵医大教授および根岸病院顧問として、精神医学に新分野を開拓した。とくに「神経質の本態と療法」の発見は画期的なもので、従来容易に治らないとされていた神経質症状が博士の療法によって治るようになった。博士自身が青年時代に神経質症状に悩んだ経験があり、それが神経質症状の本態を発見する機縁ともなった。神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始した。