私は率直に、つぎのことをいおう。
ともかく私は、われわれがまだ流すべき血をもっていることを願う、たとえそれが私に親しい人々の血であらねばならぬとしても。
なぜなら、いくらかの犠牲なしには救いもなく、自らかちとろうと努力しなかったら、完全な国民的自由もまたないのだから。
ともかく私は、われわれがまだ流すべき血をもっていることを願う、たとえそれが私に親しい人々の血であらねばならぬとしても。
なぜなら、いくらかの犠牲なしには救いもなく、自らかちとろうと努力しなかったら、完全な国民的自由もまたないのだから。
マルク・ブロック
1886年7月6日 – 1944年6月16日
フランスの歴史学者。アナール学派の初期の重要な代表者の1人。ストラスブール大学教授(1936年にパリ大学教授)。古代史学者ギュスターヴの子としてリヨンに生まれ、各地の高校で教鞭をとった後、1919年ストラスブール大学の中世史教授となる。翌年、『王と農奴』により文学博士を取得。リュシアン・フェーヴルと共に、『社会経済史年報』を創刊。これによりアナール学派の基礎を築いた。日本の歴史学者である朝河貫一とも書簡を交わす等、交流があった。第二次世界大戦が勃発すると、ブロックは当時53歳の高齢をおして出征。フランス降伏の後もレジスタンス運動を続けたが、故郷リヨンにおいてドイツ軍に捕縛され、銃殺刑に処せられた。