「論語」はまずなにを措いても、「万葉」の歌と同じように意味を孕んだ「すがた」なのです。
古典はみんな動かせない「すがた」です。
その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。
「すがた」には親しませるということが出来るだけで、「すがた」をさせることは出来ない。
とすれば、「すがた」教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずなのです。
古典はみんな動かせない「すがた」です。
その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。
「すがた」には親しませるということが出来るだけで、「すがた」をさせることは出来ない。
とすれば、「すがた」教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずなのです。
小林秀雄
東京生まれ。東京帝大仏文科卒。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ、独創的な批評活動に入り、『私小説論』『ドストエフスキイの生活』等を刊行。戦中は『無常という事』以下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年『モオツァルト』を発表。1967年文化勲章受章。連載11年に及ぶ晩年の大作『本居宣長』(1977年刊行)で日本文学大賞受賞。