耳が聴こえないほうが、
人生楽しいと思えるようになった。
私がうるさいと思うような音、
悪口なんか聞こえないから、
かえって静かでいい。
どんなことでも、ひがんじゃいけない。
それを受け入れていくのが、人生よ。
人生楽しいと思えるようになった。
私がうるさいと思うような音、
悪口なんか聞こえないから、
かえって静かでいい。
どんなことでも、ひがんじゃいけない。
それを受け入れていくのが、人生よ。
フジ子・ヘミング
1932年(昭和7年)ベルリンで生まれる。父親がロシア系スウェーデン人(画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング)で、母親が日本人(ピアニストの大月投網子)のハーフ。1969年、バーンスタインはじめ、ニキータ・マガロフ、シューラ・チェルカスキー、ブルーノ・マデルナらの推薦によって、ウィーンでのリサイタルが決定。しかし、リサイタル直前に風邪で聴力を失い、やむなくすべてのコンサートをキャンセル。 その後ストックホルムで耳の治療に専念する傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら演奏活動を行う。様々な困難を経ながらも、そのすべてを演奏に捧げる姿に多くの人々が魅了されている。