要するに哲学を持つとは、考えるということである。
人さまに洗脳されたままで生きてはならないということである。
自分が意識して一挙手一投足を選ぶこと、これが哲学を持つということなのである。
ある悩みにいつまでもこだわって人生が今ひとつ楽しくないときには、自分はいったいどういう哲学(大前提)の持ち主かを検討するとよい。
人さまに洗脳されたままで生きてはならないということである。
自分が意識して一挙手一投足を選ぶこと、これが哲学を持つということなのである。
ある悩みにいつまでもこだわって人生が今ひとつ楽しくないときには、自分はいったいどういう哲学(大前提)の持ち主かを検討するとよい。
国分康孝
1930年生まれ。東京教育大学、同大学院を経て、ミシガン州立大学院修了。哲学博士。聖徳栄養短期大学教授などを歴任。専攻はカウンセリング心理学。