そして本田も、自分の持っている力を知りたいということですね。
二人ともそれではなかったでしょうか。
だから、初めて顔を合わせたとき、相手がどんな人間なのかと詮索するようなことはお互いになかったのだと思います。
二人ともそれではなかったでしょうか。
だから、初めて顔を合わせたとき、相手がどんな人間なのかと詮索するようなことはお互いになかったのだと思います。
藤沢武夫
明治43(1910)年、東京生まれ。京華中学卒業後、日本機工研究所を設立。戦後、本田宗一郎を知り、昭和24(1949)年、本田技研工業に常務として入社。経営を担当し、技術部門を担った本だとともに、“世界のホンダ”の基盤をつくる。昭和39年副社長。昭和48年には第一線から退き、取締役最高顧問となり、昭和58年取締役を退任。この間昭和52年4月には藍綬褒章を受章。昭和63年12月30日没。享年78歳。十四位勲三等旭日章を受章。