本田宗一郎の言葉

名言集 今日を生きる、明日を拓く、言葉を贈ろう
右手は仕事をする手で、左手はそれを支える受け手である。

だから、左手はいつもやられる。
爪なんか何度ぶち割って、そのたびに抜け替わったことか。

よくもまた生えてきてくれたものである。
本田宗一郎
『私の手が語る』

本田宗一郎
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽き足らず、エンジンやピストンリングの研究を始める。先後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーになった。その後、四輪車に進出、低公害CVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。1973年社長を退く。1991年8月、肝不全のため84歳で死去。

その他の名言・言葉

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です