また浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈悲心をもて、おもふがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
今生に、いかにいとをし、不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
親鸞聖人
承安3年4月1日 – 弘長2年11月28日
鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。浄土真宗の宗祖とされる。法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)の草稿本が完成した1224年(元仁元年4月15日)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。