過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別なものがあるわけではない。
それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のようなものかもしれない。
連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているにもかかわず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に予期されるものとはまったく異なっているのだ。
今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、私とともに在る。
私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別なものがあるわけではない。
それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のようなものかもしれない。
連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているにもかかわず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に予期されるものとはまったく異なっているのだ。
今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、私とともに在る。
私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
ニサルガダッタ・マハラジ
ニサルガダッタ・マハラジは1897年インドのマハーラーシュトラ州カンダルガオンという村で生まれ育った。正式な教育を受けることなく、純真素朴な青少年期を送った彼は、その後ボンベイに移り住み、小さな雑貨店を営みながら、ごく平凡に暮らしていた。はじめてグルに出会ったとき、師は彼に言った「あなたはこれが自分であるとみなしているものではない。あなたとは誰なのか、それを見出しなさい。『私は在る』という感覚を見守りなさい、そしてあなたの真我を見出しなさい」。グルの言葉を全く疑うことなく誠実にその教えに従った彼は、わずか3年で真我を実現し、偉大な覚者となった。