朝起き説を話してあげたが、実に朝というものは大切なもの、またいいものです。
朝は常に新鮮である。
生に溢れている。
新鮮ということは、つまり生命の最もみずみずしい姿である。
新しいということはごたごたのない、なにか珍しいことというふうに皆解釈するが、あれは俗解である。
本当の新鮮さというのは生命のみずみずしい姿をいうのである。
朝は常に新鮮である。
生に溢れている。
新鮮ということは、つまり生命の最もみずみずしい姿である。
新しいということはごたごたのない、なにか珍しいことというふうに皆解釈するが、あれは俗解である。
本当の新鮮さというのは生命のみずみずしい姿をいうのである。
安岡正篤
明治31(1898)年、大阪生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。東洋政治哲学・人物学を専攻。大正11年秋に東洋思想研究所、昭和2年に(財)金鶏学院、同6年に日本農士学校を創立、東洋思想の研究と人物の育成に従事。戦後、昭和24年に師友会を設立、広く国民各層の啓発・教化につとめ、昭和58年12月逝去。