いい手はないかと模索することの積み重ねが、その人の実力となっていくのである。
あとは、その実力をどのような局面で、どういう形で出していくかである。つまり、自身の勝負哲学が問われることになる。
実力を活かすも殺すも、下降気味の運気を再び向上させていけるか否かも、最終的には本人の大局的な人生観にかかっているのである。
あとは、その実力をどのような局面で、どういう形で出していくかである。つまり、自身の勝負哲学が問われることになる。
実力を活かすも殺すも、下降気味の運気を再び向上させていけるか否かも、最終的には本人の大局的な人生観にかかっているのである。
米長邦雄
1943年、山梨県生まれ。1956年、6級で故佐瀬勇次名誉9段門下となる。1963年、4段、1979年9段昇進。名人位挑戦のための最高リーグである順位戦A級に連続27年在籍。1984年には10段、棋聖、棋王、王将を獲得し四冠王となるなど、最強棋士の一人として歩むことになる。また1985年永世棋聖の称号が贈られる。名人位には手が届かず、「悲運の挑戦者」と称されたが、1993年7度目の挑戦にして中原誠名人を下し、初の戴冠。名人位に就いた最年長記録を更新し、“50歳名人”と賞賛された。2003年には紫綬褒章を受章し、現役を引退する。 2012年(平成24年)12月18日に69歳で逝去する。