フジ子・ヘミングの言葉(1)

名言集・語録集 今日を生きる、明日を拓く、言葉を贈ろう
私は二十九歳でドイツに留学した。
世間一般から見て、これは遅いでしょ。
でも、遅すぎることはないと思っているわ。
何歳になっても、夢に向かえばいい。
今よりよくなる、前進してみせるって。

明日こそ、来週こそ。
私はもっとうまい演奏をするっていつも思っていた。

不思議にだいたいそうなるのよ。
フジ子・ヘミング
『フジ子・ヘミング 運命の力』

フジ子・ヘミング
1932年(昭和7年)ベルリンで生まれる。父親がロシア系スウェーデン人(画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング)で、母親が日本人(ピアニストの大月投網子)のハーフ。1969年、バーンスタインはじめ、ニキータ・マガロフ、シューラ・チェルカスキー、ブルーノ・マデルナらの推薦によって、ウィーンでのリサイタルが決定。しかし、リサイタル直前に風邪で聴力を失い、やむなくすべてのコンサートをキャンセル。 その後ストックホルムで耳の治療に専念する傍ら、音楽学校の教師の資格を得てピアノ教師をしながら演奏活動を行う。様々な困難を経ながらも、そのすべてを演奏に捧げる姿に多くの人々が魅了されている。

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