君子はその位に素して行い、その外を願わず。
富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄に素しては夷狄に行い、艱難に素しては艱難に行う。
君子は入るとして自得せざることない。
富貴に素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷狄に素しては夷狄に行い、艱難に素しては艱難に行う。
君子は入るとして自得せざることない。
『中庸』
「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものである。司馬遷の『史記』では、中庸は子思の作であるとされており、これが通説となっている。しかし、戦国時代の無名の儒家の著作であるという説や、『大学』同様『子思子』の一篇だったのではないかという説もあり、成立及び作者は諸説が存在している。『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、初めて『中庸』を表彰したのは南朝宋の戴顒(378~441)であるとされている。